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【アラベスク】  第9章 蜜蜂



第3節 gossip [16]




 陽翔は叩かれた手を軽く振り、腰に手を当て下唇を噛む。
「何がだ? これは俺にとっては正当な権利だ。お前は俺から初子先生を奪った。だから俺はお前から大迫美鶴を引き離す。これは実に公平な対策だ」
「だから僕に、廿楽とかいう女を押し付けようって言うのか。冗談じゃないっ!」
 右足で地面を叩き、右手の人差し指をまっすぐに陽翔へ向ける。
「お前が僕を嫌うのは勝手だ。だがな、僕は美鶴から離れるつもりはない」
 そうだ。美鶴を奪われるわけにはいかない。聡にも、霞流にも、相手がどこの誰であろうとも。
「美鶴を巻き込むなんて論外だ。僕だって、お前のくだらない復讐心や理不尽な濡れ衣に応じるつもりなどサラサラない。そんなのはまっぴら御免だ」
 顎をあげる。
 お茶会という催しに潜まされた廿楽という上級生の意図は、陽翔から聞いて知っている。
 出席する義務はないと思っていた。だが、無碍(むげ)に扱ってよいものか、瑠駆真はかすかに迷っていた。陽翔の意図がはっきりしなかったから。
 副会長主催のお茶会という華やかな誘いの後ろに、なぜだか陽翔の影が漂っているように思えた。その存在があまりにも不気味で、だから瑠駆真は受ける事も断る事もできずにいた。
 だが今、すべてが明らかになった。
 実に単純でくだらない。
「お茶会になんて出ない」
 きっぱりと宣言する。
「お前のくだらない策になんて、ひっかかるつもりはない」
 だが陽翔は、片眉をあげるだけ。
「心外だな。俺はお前をひっかけるつもりはないんだが」
「その気があるのかないのかなんて、そんなものは関係ない。とにかく僕は、お茶会には出ない」
 一歩前へ出る瑠駆真。だが陽翔は、なぜだか楽しそうに声をあげる。
「お前はやっぱりおもしろいよ」
 暗闇の中では、たとえ密やかな含み笑いでも十分に辺りへ沁み渡る。
「何がおもしろい?」
 瑠駆真の言葉に、陽翔はゆっくりと笑い声を消す。
「お茶会は断れない」
 あまりにもハッキリとした断言に、瑠駆真は言葉を失った。
「なん、だと?」
「何ども言わせるな。お前はお茶会を断る事はできない。なぜならば」
 なぜだ、と口を開きかけた瑠駆真を片手で制し、今度はゆっくりと顎を引く。
「お前がお茶会を断れば、今度は華恩が大迫美鶴に牙を剥く」
 まるで、太い氷柱(つらら)が背中に突き刺さったかのよう。冷たいのか痛いのか、よくわからない衝撃が瑠駆真の全身を貫いていく。
「お茶会に出れば、否が応でもお前と華恩をくっつけてやる。ゴシップ好きの唐渓生を甘く見るなよ。やつらは噂という蜜には目がないからな。それがわかってるから、お前も女どもを(はべ)らせてるんだろ?」
 そこで陽翔はニヤリと笑う。
「それともお前、結構楽しんでる?」
 瑠駆真からの睥睨などお構いなし。
「見たトコ、女子に囲まれてさ、まんざらでもないみたいじゃん」
 首を揺らしながら半眼で瑠駆真を見上げる。自分や、それに聡の人気ぶりを楽しげにツラツラと語る相手の態度に怒りの沸き立つ瑠駆真。陽翔は眉をあげた。
「お前って、意外と軟派なんだな。そういう意外性も女どもは好きみたいだぜ。大迫美鶴を追いかけておきながら華恩なんかと親しくしたら、それこそ噂は蜂蜜だな」
 噂―――
 人から人へ囁かれる噂話。それが真実か否かなど、彼らには関係ない。ただ、自分の好奇心を満たしてくれればそれでいい。
「だが、お茶会に出なければ、その時は大迫美鶴が再び不幸を背負うことになる。きっとその時は、謹慎くらいじゃ済まないぜ。退学させられるかもな」
 昼間に聞いた、唐渓という世界の権力争い。美鶴一人を簡単に謹慎させてしまうほどの巨大な力。
 言葉の出ない瑠駆真の姿に陽翔はフッと一息吐き、空を見上げた。
「夜が明けるな」
 それでも瑠駆真は、微動だにできない。
 ただ瞠目したまま硬直する相手に瞳を細め、ゆっくりと背を向ける陽翔。
「よく考えろ。何が一番の上策か」
 そうして歩み始めた足を、だがすぐに止めた。そうしてと肩越しに振り返り
「まぁ もっとも、お前に味方する策はない」
 立ち去る陽翔の後ろ姿に、瑠駆真はグッと拳を握った。
 お茶会を断れば、今度は美鶴にどのような境遇が与えられるのか。
 だが、逆にお茶会へ出席すれば、廿楽と自分は無理矢理にでもくっつけられる。真実であれ虚実であれ、魅かれあっていると校内に噂を広められ、その一端は美鶴の耳にも届くだろう。
 否定すればするほど、おもしろそうに囁きあう周囲の視線が目の裏に浮かぶ。
 直接害を与える事はせず、ただ視界の端で姿をチラつかせる目障りな存在。噎せるほど華やかで、息苦しくなるほど身勝手。そんなふうに勝手気ままに飛び回る周囲を跳ね除け、美鶴との関係を護りきることが、果たして瑠駆真にできるのだろうか?
 夏休み直前、英語の成績で瑠駆真を罵った美鶴。
 結局瑠駆真は、美鶴との不和を自力で解決する事はできなかった。あの件は、夏休みという時間がなんとなく解決してくれたようなもの。
 だが今回、もし自分と廿楽の仲が噂されたなら、それもまた時間が解決してくれるというのか?
 脳裏に、小童谷陽翔の不敵な笑顔が浮かぶ。
 できない。期待できない。
 時間による解決など、とても期待できそうにない。
 ならば僕には、何も手は無いという事なのか?
 僕はそれほどまでに、無力だというのか?







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